「アフリカの動物画=ティンガティンガ」ではない|アーティストから見る、本当のティンガティンガ・アート

「アフリカの動物画=ティンガティンガ」ではない|アーティストから見る、本当のティンガティンガ・アート

アフリカの絵というと、どのような作品を思い浮かべるでしょうか。

ゾウ、キリン、ライオン、シマウマ。

赤く染まる夕日。

アカシアの木。

サバンナを歩く動物たち。

アフリカを旅行すると、市場や観光地、道路沿いの店などでも、こうしたモチーフを描いた色鮮やかな絵に出会うことがあります。

そして日本でも、このような「アフリカらしい動物画」を見て、

「これはティンガティンガですね」

と言われることがあります。

しかし、これは正確ではありません。

アフリカンアート=ティンガティンガ・アートではありません。

そして、

アフリカの動物を描いたカラフルな絵=ティンガティンガ

でもありません。

TANZANIA Elephant

この違いを理解することは、ティンガティンガを単なる「アフリカらしい絵」としてではなく、一つの芸術表現として楽しむための重要な入口になります。

さらにもう一歩進むと、ティンガティンガを見るときには「ティンガティンガ」というカテゴリーだけを見るのではなく、その作品を描いた一人ひとりのアーティストを見ることが重要だということが分かってきます。

今回は、その理由を考えてみたいと思います。

「アフリカンアート」という一つの絵画様式は存在しない

まず「アフリカンアート」という言葉から整理してみましょう。

アフリカ大陸には50を超える国があります。

そこには異なる民族、言語、宗教、歴史、生活文化があり、当然ながら芸術表現も非常に多様です。

絵画だけではありません。

彫刻、仮面、染織、陶芸、ビーズ、写真、映像、インスタレーションなど、伝統的な造形から現代美術まで膨大な表現が存在します。

したがって「アフリカンアート」という言葉は、それ自体が特定の技法や様式を意味するものではありません。

非常に広い地域の芸術を便宜的にまとめた、大きなカテゴリーです。

たとえば「ヨーロッパ美術」という言葉の中に、ルネサンスも印象派もキュビスムも現代美術も含まれるのと同じです。

そのため、

「カラフルだからアフリカンアート」

「動物が描かれているからアフリカンアート」

という理解だけでは、実際のアフリカ美術の多様性を捉えることはできません。

ましてや、それらをすべて「ティンガティンガ」と呼ぶことはできません。

アフリカの路上で見かける動物画も、すべてティンガティンガではない

タンザニアをはじめ東アフリカを旅すると、さまざまな場所で絵が販売されています。

市場、道路沿い、観光客向けのショップなどで作品を目にする機会もあります。

描かれているのは、ライオン、ゾウ、キリン、シマウマなどの野生動物、サバンナ、村の風景、人々の生活などさまざまです。

その中には魅力的な作品もありますし、高い技術を持った画家の作品もあります。

ここで重要なのは、

「路上で売られているからアートではない」という話ではない

ということです。

販売されている場所だけで作品の芸術的価値を判断することはできません。

問題は別のところにあります。

アフリカで描かれていること。

カラフルであること。

野生動物が描かれていること。

こうした外見的特徴だけを理由に、その作品を「ティンガティンガ」と呼ぶことはできないということです。

ティンガティンガには、たどることのできる歴史がある

では、ティンガティンガとは何なのでしょうか。

その大きな特徴は、誕生の歴史を具体的にたどることができることです。

ティンガティンガ・アートは、1960年代末のタンザニアでEdward Saidi Tingatinga(エドワード・サイディ・ティンガティンガ)が始めた絵画表現に由来します。

Edwardがダルエスサラームで制作した作品とその技法・表現が周囲の画家たちへ伝わり、1972年にEdwardが亡くなった後も制作は続けられました。

そして次の世代、そのまた次の世代へと受け継がれ、現在に至っています。

つまりティンガティンガは、

「アフリカの動物をカラフルに描く方法」の一般名称ではありません。

具体的な創始者が存在し、その周囲の画家たちから後の世代へと発展してきた、歴史的背景を持つ絵画表現です。

この点を理解すると、「見た目が似ているからティンガティンガ」という分類が、なぜ不十分なのかが分かります。

なぜ「アフリカの動物画」と混同されるのか

それでも両者が混同されやすい最大の理由は、モチーフにあります。

Edward Saidi Tingatingaの時代から、ティンガティンガにはタンザニアの自然や野生動物が数多く登場してきました。

ゾウ。

ライオン。

ヒョウ。

キリン。

カバ。

鳥。

こうした動物は、ティンガティンガを象徴する重要なモチーフです。

しかし当然ながら、アフリカでこれらの動物を描くのはティンガティンガのアーティストだけではありません。

サバンナに生息する動物は、さまざまな地域、さまざまな画家によって描かれています。

「ライオンが描かれているからティンガティンガ」ということにはなりません。

同様に、鮮やかな色を使用しているからティンガティンガになるわけでもありません。

これは一見当たり前のことですが、日本でティンガティンガが紹介される際には、意外に混同されやすい部分です。

「ティンガティンガ風」と「ティンガティンガ」も区別して考える

さらに難しいのが、ティンガティンガに似た作品です。

ある芸術表現が知られるようになれば、その特徴から影響を受けた作品が生まれることは自然です。

鮮やかな色。

平面的な構成。

デフォルメされた動物。

黒く強い輪郭。

こうした要素を持つ作品を見て、「ティンガティンガ風」と感じることもあるでしょう。

しかし、

ティンガティンガのように見えることと、ティンガティンガの歴史的な文脈の中で制作されていることは別です。

外見だけではなく、作者や制作背景を見る必要があります。

そして、ここからがもっと重要です

ティンガティンガと一般的なアフリカの動物画を区別できるようになったら、次にぜひ進んでほしい段階があります。

それは、

「ティンガティンガを見る」ことから、「ティンガティンガのアーティストを見る」ことへの変化です。

これは、ティンガティンガをアートとして楽しむうえで非常に重要な視点だと私たちは考えています。

私たちは「印象派」という名前だけで絵を見ているわけではない

西洋美術を考えてみると分かりやすいかもしれません。

美術史には「印象派」「ポスト印象派」「キュビスム」「シュルレアリスム」など、さまざまなカテゴリーがあります。

しかし、美術館へ行ったとき、私たちはカテゴリーだけを鑑賞しているわけではありません。

「印象派の絵だから全部同じ」

とは考えないでしょう。

モネの作品を見る。

ルノワールの作品を見る。

時代を少し進めれば、ゴッホの作品を見る。

それぞれに色の使い方も、筆触も、題材も、画家が見ていた世界も違います。

私たちが楽しんでいるのは「印象派」という言葉そのものではなく、その大きな美術史の中に存在する一人ひとりのアーティストの世界です。

ティンガティンガも、同じように見ることができます。

「ティンガティンガ」という一枚の絵はない

「ティンガティンガが好きです」

もちろん、それはティンガティンガを楽しむ入口として素晴らしいことです。

しかし、たくさんの作品を見ていくと、その言葉だけでは説明できなくなってきます。

なぜなら、アーティストによって作品があまりにも違うからです。

動物を一頭、大胆に描く画家。

数え切れないほどの動物を画面に描き込む画家。

人々の生活を描く画家。

市場を描く画家。

病院を描く画家。

漁師を描く画家。

静かな作品を描く人もいれば、画面から音が聞こえてきそうなほどにぎやかな作品を描く人もいます。

それらをすべて「ティンガティンガだから同じ」としてしまえば、一人ひとりのアーティストの個性が見えなくなってしまいます。

「ゾウの絵」ではなく「誰が描いたゾウなのか」

たとえば、ティンガティンガにはゾウを描いた作品が数多くあります。

しかし、ゾウというモチーフだけで作品を見比べても、画家によってまったく違います。

身体の形。

目の表情。

模様。

背景。

周囲の動物。

色の組み合わせ。

画面の中でゾウが占める大きさ。

同じ動物を描いているからこそ、逆にアーティストの違いが分かりやすくなることもあります。

「ゾウのティンガティンガが欲しい」

というところから、

「このアーティストが描くゾウが好き」

へ。

この変化が起こると、ティンガティンガを見る楽しみは一気に広がります。

 

作者が明らかであることが「アートの文脈」をつくる

ここで重要になるのが、作者です。

作品を美術として考える場合、「誰が描いたのか」という情報には大きな意味があります。

もちろん、作者不詳の作品だから芸術的価値がないということではありません。

世界の美術史には作者不詳の重要な作品も数多く存在します。

しかし、現代の作家による絵画を継続的に見ていく場合、作者が明らかであることで、その一枚をより広い文脈の中に位置づけることができます。

誰が描いたのか。

どこで活動しているのか。

過去にどのような作品を描いてきたのか。

どんなモチーフを繰り返し描いているのか。

どのように作風が変化してきたのか。

展覧会や発表歴はあるのか。

こうした情報が作品と結びつくことで、その一枚は単独で存在する「アフリカの絵」ではなく、

「あるアーティストの創作活動の中に存在する一作品」

になります。

これが、アートを見る際の「文脈」の一つです。

作者が分かれば、時間を超えて作品を追うことができる

作者が特定されていることには、もう一つ面白さがあります。

アーティストを追い続けることができることです。

たとえば、ある画家の作品を初めて購入したとします。

数年後、そのアーティストがどのような作品を描いているのかを見る。

以前とは違うモチーフを描き始めているかもしれません。

構図が変わっているかもしれません。

色の使い方が変化しているかもしれません。

反対に、何十年も同じテーマを掘り下げ続けているかもしれません。

そうして作品を時間軸で見ることができるようになると、アートを所有する意味も変わってきます。

単に「部屋に飾る一枚」ではなく、その作家の活動の一時点を所有することになるからです。

マリキータを見れば、その違いがよく分かる

たとえばMaurus Michael Malikita(マウルス・マリキータ)の作品を見ると、この「作家を見る」という意味が分かりやすくなります。

マリキータはティンガティンガのアーティストですが、彼の代表的な作品は、一般的にイメージされる「大きな動物を描いたティンガティンガ」とは大きく異なります。

市場。

病院。

学校。

街。

働く人々。

無数の人物が画面の中でそれぞれに動き、一枚の大きな物語を形成します。

これを単に「ティンガティンガ」というカテゴリーだけで見ると、マリキータ独自の世界を十分に説明できません。

むしろ、

「マリキータの作品」

として見る方が自然です。

ティンガティンガ 原画 MALIKITA MuhimbiliNationalHospital

SIWAにはSIWAの世界がある

SIWA TINGATINGA(シワ・ティンガティンガ)も同様です。

SIWAは創始者Edward Saidi Tingatingaの孫にあたります。

しかし、SIWAの作品を見る価値は「創始者の孫だから」という一点だけにあるわけではありません。

重要なのは、彼女自身が現在どのような作品を描いているのかです。

祖父と同じ動物を描いたとしても、構図も、色彩も、画面のつくり方も異なります。

そこにはEdwardの作品とは別の、SIWA自身の表現があります。

だからこそ、

「Edwardの孫が描いたティンガティンガ」

で終わらせるのではなく、

「SIWA TINGATINGAというアーティストの作品」

として見ていく必要があります。

ティンガティンガ 原画 SIWA  Anterope GreenBack

AKILYにも、また別の世界がある

AKILY(アキリ)の作品にも独自の世界があります。

動物たちを数多く配置した作品や、バブーンをモチーフにした作品など、彼ならではの構成や表情があります。

マリキータとSIWAとAKILY。

三人ともティンガティンガという流れの中で制作していても、作品を並べれば世界観は大きく異なります。

それは当然のことです。

三人の別々の人間が、自分自身の感覚で絵を描いているからです。

ここに気づくと、

「ティンガティンガにはどんな絵がありますか?」

という問いから、

「どんなティンガティンガ・アーティストがいますか?」

という問いへ変わっていきます。

この違いは、とても大きなものです。

ティンガティンガ 原画 AKILY SleepingAnimals

「有名なジャンル」ではなく「好きな作家」を見つける

アートを楽しむとき、最終的に面白くなるのは、自分が好きな作家を見つけたときではないでしょうか。

最初は「印象派が好き」だった人が、たくさんの作品を見るうちに、

「私はモネのこの時期が好きだ」

「ルノワールよりモネに惹かれる」

と、自分の好みを発見していく。

あるいは印象派からさらに興味が広がり、ゴッホの作品に強く惹かれる。

アートを見る経験が増えるほど、カテゴリーから作家へ、さらに個々の作品へと関心が具体的になっていきます。

ティンガティンガにも、同じ楽しみ方があってよいと思います。

最初は、

「ティンガティンガが好き」

で構いません。

そこから、

「マリキータが好き」

「SIWAが好き」

「AKILYの動物が好き」

へ進んでいく。

そしてさらに、

「この時期のマリキータの群衆画が好き」

「SIWAのこの動物シリーズが好き」

というところまで進めば、作品を見る楽しみはさらに深くなります。

作品を購入するときにも「作家を見る」

この考え方は、作品を購入するときにも重要です。

「ティンガティンガを一枚買う」

だけではなく、

「このアーティストの作品を一枚所有する」

と考えてみてください。

すると確認したい情報も変わります。

作者名は明らかになっているか。

そのアーティストについて情報があるか。

どこで制作された作品なのか。

どのような経路で入手されたのか。

作品の来歴は確認できるか。

同じ作者のほかの作品を見ることができるか。

こうした情報が重要になってきます。

作者が明らかであれば、それだけで作品の市場価格が高くなるわけではありません。

しかし作者、制作背景、取得経路などが確認できることは、作品を継続的に研究・収集していくための基盤になります。

来歴を残すことも、未来の作品価値につながる

作品を所有するのであれば、作者だけでなく、どこから購入した作品なのかという記録を残しておくことも大切です。

美術の世界では、作品がどのような経路をたどってきたのかという来歴、いわゆるプロヴェナンスが重要視されます。

もちろん、プロヴェナンスがあるだけで作品価格が上がるわけではありません。

しかし、作者と作品、そして所有の履歴を結びつける情報が残されていれば、将来その作品を調査したり、譲渡したりするときにも確認しやすくなります。

特に現在活動しているアーティストの作品については、今の段階から記録を残していくことに意味があります。

ティンガティンガを「カテゴリー」で終わらせない

ティンガティンガという名称は、このアートを世界へ伝えるうえで非常に重要です。

しかし同時に、その名称が強すぎることで、一人ひとりのアーティストが見えにくくなることがあります。

「ティンガティンガの絵」

だけで終わらせてしまう。

これは少しもったいない見方です。

ティンガティンガという大きな流れの中には、異なる世代、異なる経歴、異なる感性を持ったアーティストたちがいます。

それぞれが同じ作品を作っているわけではありません。

むしろ、その違いこそが現在のティンガティンガの豊かさです。

目指したいのは「ティンガティンガ派の作家を楽しむ」こと

私たちが日本でティンガティンガを紹介する際に大切にしたいのも、ここです。

「アフリカの珍しい絵」として紹介するだけではない。

「カラフルでかわいい動物画」として紹介するだけでもない。

ティンガティンガという歴史を紹介すると同時に、

その中で制作するアーティスト一人ひとりを紹介すること。

そして作品を見る人が、

「ティンガティンガが好き」

から、

「私はこのアーティストが好き」

と言うようになること。

それが、ティンガティンガを日本で一つのアートとして深く楽しんでもらうための重要な段階だと考えています。

アフリカンアートから、ティンガティンガへ。そしてアーティストへ

最初は「アフリカンアート」という入口でも構いません。

そこからタンザニアで生まれたティンガティンガを知る。

その歴史を知る。

そして、作品を見比べる。

すると、やがて一人ひとりのアーティストの違いが見えてきます。

アフリカンアート → ティンガティンガ → アーティスト → 一枚の作品。

知れば知るほど、見る対象が具体的になっていきます。

これは西洋美術でも、日本美術でも、現代美術でも同じです。

カテゴリーは、アートを知るための入口です。

しかし、カテゴリーそのものが作品を描くわけではありません。

絵を描いているのは、一人の人間です。

「これはティンガティンガですか?」の、その先へ

アフリカの動物画を見たとき、

「これはティンガティンガですか?」

と考えることは、興味を持つ最初のきっかけになります。

しかし、その次にはぜひ、

「これは誰が描いた作品ですか?」

と聞いてみてください。

作者の名前を知る。

その人の別の作品を見る。

経歴を知る。

何を描き続けているのかを見る。

すると、それまで「ティンガティンガ」という一つの大きなくくりに見えていた世界が、突然、何人ものアーティストによる異なる世界へと分かれて見えてきます。

マリキータには、マリキータの世界があります。

SIWAには、SIWAの世界があります。

AKILYには、AKILYの世界があります。

そして、まだ知られていないアーティストにも、それぞれの世界があります。

ティンガティンガを楽しむということは、同じような「アフリカの絵」を集めることではありません。

一人ひとりのアーティストが何を見て、何を描き、どのような表現を生み出しているのかを楽しむこと。

そこまで見えるようになると、ティンガティンガは「アフリカのカラフルな動物画」というイメージを大きく超えていきます。

ティンガティンガという名前は、その世界への入口です。

その扉を開けた先にいるのは、カテゴリーではありません。

それぞれ異なる表現を持つ、一人ひとりのアーティストなのです。

TingatingaArtsCooperative Society ティンガティンガ工房 artist

「ティンガティンガらしい絵」と「作家の表現」は同じではない

ティンガティンガが広く知られるようになるにつれて、その特徴的なスタイルを取り入れた作品も数多く制作されるようになりました。

鮮やかな色彩。

アフリカの野生動物。

大胆にデフォルメされた形。

強い輪郭線。

こうした特徴を組み合わせれば、一見して「ティンガティンガらしい」と感じる作品をつくることはできます。

観光地やマーケットでは、旅行者が気軽に購入できる絵画も販売されています。それらもタンザニアの観光文化や地域経済の一部であり、その存在自体を否定する必要はありません。

また、手頃な作品との出会いをきっかけに、タンザニアの美術に興味を持つ人もいるでしょう。

ただし、「ティンガティンガの特徴を取り入れた作品」と、ティンガティンガの歴史的な流れの中で活動するアーティストが自らの表現として制作した作品は、アートの文脈では分けて考える必要があります。

その違いは、単に「上手いか、下手か」「高いか、安いか」という話ではありません。

重要なのは、その作品の向こう側に「作家」が見えるかどうかです。

TingatingaArtsCooperative Society ティンガティンガ工房 artist RUBUNI

モチーフを描くことと、自分の世界を描くこと

たとえば、ゾウ、キリン、ライオンをティンガティンガ風の色彩で描くことはできます。

しかし、一人のアーティストが長い時間をかけて作品を制作していくと、次第にその人だけの表現が生まれてきます。

なぜ、この動物を繰り返し描くのか。

なぜ、この構図なのか。

なぜ、この色なのか。

なぜ、人々の暮らしを描くのか。

作品を通して何を見せたいのか。

そこには、単なる様式の再現とは異なる作家自身の視点があります。

優れたティンガティンガ・アーティストの作品を何枚も見ていると、サインを確認する前から「これはあの作家ではないか」と感じることがあります。

それは、そのアーティストに固有の造形言語が生まれているからです。

アートとしてティンガティンガを見るときに重要なのは、まさにこの部分です。

一人ひとりのアーティストには「描く理由」がある

ティンガティンガのアーティストたちは、全員が同じテーマを描いているわけではありません。

ある作家は野生動物を描き続けます。

ある作家は、人と動物が共存する世界を描きます。

ある作家は、タンザニアの市場や街、病院、学校、働く人々を描きます。

また、特定の動物や構図を繰り返し描きながら、自分自身の世界を掘り下げていく作家もいます。

そこには、それぞれの作家が見ているタンザニアがあります。

もちろん、すべての作品に言葉で説明できる明確な社会的メッセージが込められている、と断定することはできません。

しかし、継続的に制作しているアーティストの作品を追っていくと、何を描こうとしているのか、何に関心を持っているのかという作家固有の視点が少しずつ見えてきます。

それは、単に人気のある図柄を再現することとは異なるものです。

マリキータが描いているのは「人間のいるタンザニア」

Maurus Michael Malikita(マウルス・マリキータ)は、その違いを理解しやすいアーティストです。

マリキータの作品には、市場、病院、学校、港、街などが登場し、その中に非常に多くの人々が描かれます。

一人ひとりを見ると、歩いている人、働いている人、話している人、物を運んでいる人など、それぞれが違う行動をしています。

そこにあるのは、単なる「ティンガティンガらしい図柄」ではありません。

マリキータ自身が見てきたタンザニアの社会や人々の暮らしが、彼独自の方法で一枚の画面に構成されています。

だからこそ、マリキータの作品は「ティンガティンガの市場の絵」という説明だけでは十分ではありません。

マリキータが描いた市場だからこそ意味がある。

そこに「作家を見る」というアートの楽しみ方があります。

SIWAが描く動物も、単なる「アフリカの動物」ではない

SIWA TINGATINGAの作品についても同じことが言えます。

SIWAは創始者Edward Saidi Tingatingaの孫にあたりますが、祖父の作品をそのまま再現しているわけではありません。

同じゾウやライオン、カバ、サイを描いても、構図や色の使い方、モチーフの配置にはSIWA自身の表現があります。

ここで重要なのは、「創始者の孫だから価値がある」ということではありません。

歴史的な背景を受け継ぎながら、自分ならそのモチーフをどう描くのかを作品として提示していることです。

伝統を受け継ぐことと、過去の作品をコピーすることは違います。

受け継いだものに自分自身の表現を加え、次の作品を生み出していく。

それもティンガティンガが半世紀以上続いてきた理由の一つでしょう。

「似ているか」ではなく「その人にしか描けないか」

ティンガティンガ作品を見るとき、ぜひ一度、視点を変えてみてください。

「ティンガティンガらしく見えるか」

ではなく、

「このアーティストだから描ける作品なのか」

と考えてみるのです。

そして一枚だけではなく、同じアーティストの作品を何枚か見てみます。

そこに共通するものが見つかるかもしれません。

動物の目。

人物の描き方。

色。

構図。

繰り返し登場するモチーフ。

作品に流れるユーモア。

あるいは、タンザニアの社会を見る視線。

それらが積み重なって、一人のアーティストの「世界」になります。

「本物」を考えるなら、絵柄ではなく背景を見る

「本物のティンガティンガとは何ですか?」という質問を受けることがあります。

この問いに、絵柄だけで答えるのは難しいでしょう。

むしろ確認したいのは、

誰が描いたのか。

そのアーティストはどのような制作活動を続けているのか。

どのような作品をこれまで描いてきたのか。

ティンガティンガの歴史とどのような関係を持っているのか。

そして、その作品がどのような経路で現在の場所まで来たのか。

という背景です。

特定の色や動物、描き方を真似すれば、外見上はティンガティンガに似せることができます。

しかし、作家の経歴や継続した制作活動、作品群、来歴までを外見だけで再現することはできません。

だからこそ、アートとして作品を選ぶ場合には、「ティンガティンガに見えるか」だけでなく「誰の作品なのか」を知ることが重要になります。

TingatingaArtsCooperative Society ティンガティンガ工房 artist GAYOお土産として楽しむ絵と、アートとして作家を楽しむこと

ここで両者を優劣で考える必要はありません。

旅先で気に入った絵を見つけ、その土地の思い出として持ち帰る。

それも絵を楽しむ素晴らしい方法です。

一方で、ティンガティンガを「アート」としてもう一段深く楽しみたいのであれば、作品だけでなく作家を見るという視点が加わります。

作品を気に入る。

作者の名前を知る。

その人の別の作品を見る。

経歴を知る。

何を描き続けているのかを知る。

数年後、新しい作品を見る。

そうして一人のアーティストの活動を追っていく。

この楽しみ方は、世界のほかの美術と何も変わりません。

私たちがモネやゴッホの作品を見るとき、単に「ヨーロッパの絵」として見ないのと同じです。

ティンガティンガについても、

「アフリカの絵」

から、

「ティンガティンガ」

へ。

そしてさらに、

「このアーティストの作品」

へと視点を進めていく。

そうすることで初めて、一人ひとりの画家が作品の中に作り上げている世界が見えてきます。

そして、そこまで見えるようになったとき、ティンガティンガは「カラフルなアフリカの動物画」という大きなくくりから離れ、それぞれのアーティストが自分自身の視点や表現を持って制作する、現在進行形のアートとして、より豊かに楽しめるようになるのではないでしょうか。

一枚だけでは見えないものが、作品を追うと見えてくる

一人のアーティストを理解するためには、一枚の作品を見るだけでは十分ではないことがあります。

同じ作家が制作した10枚、20枚の作品を見ていく。

さらに過去の作品と現在の作品を比較する。

すると、その人が繰り返し描いているものや、少しずつ変化させているものが見えてきます。

ある時期には特定の動物を描き続けていた。

その後、背景の色が変わった。

動物の数が増えた。

人物を描くようになった。

以前より画面がシンプルになった。

あるいは反対に、年々細密になっていった。

こうした変化は、一枚だけを見ていても分かりません。

複数の作品を時間軸で見ることで初めて、アーティストがどのように自分の表現を発展させているのかが見えてきます。

これこそ、作家単位でアートを見る面白さです。

「同じものを描き続ける」ことにも意味がある

一方で、長年ほとんど同じテーマを描き続けるアーティストもいます。

それを単純に「同じ絵を繰り返している」と考える必要はありません。

美術の世界では、一つのテーマを何年、何十年にもわたって追究する作家は珍しくありません。

同じ対象を描きながら、構図を変える。

色を変える。

大きさを変える。

登場するモチーフを変える。

少しずつ異なる方法で、一つのテーマを掘り下げていく。

そこから作家固有の世界が形成されることがあります。

ティンガティンガでも、特定の動物やテーマを繰り返し描くアーティストがいます。

重要なのは、「同じ動物を描いている」という表面的な事実だけではありません。

なぜその作家は、それを繰り返し描いているのか。

そこを見ると、作品への理解が一段深くなります。

作家の「メッセージ」は、必ずしも言葉ではない

「アーティストのメッセージ」というと、社会問題や政治的な主張など、明確な言葉に置き換えられるものを想像するかもしれません。

しかし、アートにおけるメッセージは、それだけではありません。

ある作家が何十年も動物と自然の共存を描き続けている。

ある作家がタンザニアの人々の日常生活を描き続けている。

ある作家が特定の動物の姿を独自の方法で描き続けている。

それ自体が、そのアーティストの関心や世界の見方を表している場合があります。

本人が「この作品のメッセージは○○です」と説明していなくても、作品群を通して見えてくるものがあります。

だからこそ、一枚だけではなく、そのアーティストの作品を継続して見ることに意味があります。

ティンガティンガには「作者」がいる

これは当たり前のようで、実は非常に重要なことです。

ティンガティンガが日本で紹介される際、

「タンザニアのティンガティンガ」

「アフリカのティンガティンガ」

といった形で、ジャンル名だけが前面に出ることがあります。

しかし、その一枚を実際に描いているのは「ティンガティンガ」という存在ではありません。

一人のアーティストです。

画家には名前があります。

経歴があります。

それぞれの人生があります。

そして、それぞれが違うものを見て、違うことを考え、違う方法で作品を制作しています。

そこを見ずにすべてを「ティンガティンガ」とだけ呼んでしまうと、アーティストの存在そのものがカテゴリーの陰に隠れてしまいます。

ティンガティンガ 原画 Tingatinga
Tingatinga Arts Cooperative Society

「アフリカだから」ではなく「その作家だから」

これはアフリカのアートを見る際に、特に意識したい視点でもあります。

ヨーロッパや日本の美術を見るとき、私たちは比較的自然に作者を意識します。

「フランスの絵が好き」

だけではなく、

「モネが好き」

「マティスが好き」

と話します。

日本美術についても、

「日本画が好き」

からさらに進んで、

「伊藤若冲が好き」

「東山魁夷が好き」

という見方をします。

ところが、アフリカの作品になると突然、

「アフリカの絵」

「アフリカンアート」

という地域カテゴリーだけで語られてしまうことがあります。

しかし、アフリカのアーティストも当然、一人ひとり異なる表現者です。

「アフリカだから面白い」のではなく、「この作家だから面白い」。

ティンガティンガについても、この見方を大切にしたいと考えています。

「ティンガティンガ派」と考えると分かりやすい

ティンガティンガを理解する際には、「一つの決まった絵柄」と考えるより、創始者Edward Saidi Tingatingaから始まり、その影響を受けた複数の世代のアーティストによって発展してきた一つの芸術的な流れとして考える方が分かりやすいかもしれません。

その意味では、「ティンガティンガ派」という見方もできます。

もちろん、西洋美術史における「印象派」などと成立過程や制度が完全に同じという意味ではありません。

しかし、

一人の先駆的な画家が新しい表現を生み出す。

その周囲の画家が影響を受ける。

次の世代が技法や考え方を受け継ぐ。

さらに、それぞれの画家が独自の表現へ発展させる。

という流れを見ると、「ティンガティンガ=一種類の絵」と考えるより、複数の個性的な作家を含む芸術の系譜として理解した方が、現在の多様な作品を捉えやすくなります。

Edwardの作品と現在の作品が違うのは当然

創始者Edward Saidi Tingatingaが活動していたのは1960年代末から1972年までです。

それから半世紀以上が経過しています。

もし現在のティンガティンガ・アーティストがEdwardとまったく同じ作品だけを描き続けていたとすれば、それは文化が「継承」されたというより、様式が固定されたことになってしまいます。

実際には、ティンガティンガは変化してきました。

画家が変わった。

時代が変わった。

タンザニアの社会が変わった。

作品を見る人も変わった。

そしてティンガティンガはタンザニア国外へも広がりました。

だから現在の作品がEdwardの作品と違うことは、むしろ自然です。

重要なのは、

何が受け継がれ、何が新しく生み出されたのか。

ということです。

そこを見ることによって、ティンガティンガの半世紀以上にわたる変化を理解できます。

コピーではなく「継承」と「発展」を見る

伝統を受け継ぐということは、過去の作品をそのままコピーすることではありません。

Edwardと同じ動物を描いていても、別の画家が自分自身の構図や色彩、世界観を生み出せば、そこには新しい作品が生まれます。

逆に、外見だけを似せることに重点が置かれれば、その作品から作者固有の表現を読み取ることは難しくなります。

この違いは非常に重要です。

模倣することと、影響を受けること。

再現することと、継承すること。

様式を使うことと、自分自身の表現へ発展させること。

これらは似ているようで、アートの文脈では異なるものです。

ティンガティンガの歴史が面白いのは、Edwardの表現がそのまま保存されただけではなく、多くの画家によって変化し続けてきたところにあります。

「上手い絵」と「作家性のある絵」は必ずしも同じではない

もう一つ、作品を見るときに考えてみたいことがあります。

それは技術と作家性の違いです。

非常に精密に描かれている。

線がきれい。

色が美しい。

動物がリアル。

こうした技術的な完成度は、もちろん作品を見る一つの基準になります。

しかし、美術作品としての面白さは技術だけでは決まりません。

多少不器用に見える線でも、その作家にしか描けない線であれば、そこに強い個性が生まれることがあります。

独特な動物の表情。

不思議な遠近感。

他の人なら選ばない色。

一見すると奇妙な構図。

それが何十枚もの作品に一貫して現れていると、やがてその人だけの「作風」になります。

美術の世界で評価される作家の多くは、単に「絵が上手な人」ではありません。

その人の作品だと分かる何かを持っている人です。

ティンガティンガを見る際にも、この視点は非常に面白いものです。

サインを見る前に作者が分かるようになる楽しさ

好きなアーティストの作品を何枚も見ていると、面白いことが起こります。

作品の隅に書かれたサインを確認する前に、

「これはあの人の作品ではないか」

と感じるようになるのです。

動物の目を見ただけで分かる。

人物の形で分かる。

背景の使い方で分かる。

色の組み合わせで分かる。

構図で分かる。

これは、アートを見るうえで非常に楽しい経験です。

「ティンガティンガを知っている」という段階から、**「ティンガティンガの作家を見分けられる」**段階へ進んだことになります。

そのとき、作品鑑賞はカテゴリーを眺めるものから、一人ひとりの表現を読み取るものへ変わります。

コレクションも「ジャンル」から「作家」へ

作品を所有する楽しみも同様です。

最初の一枚は、

「ティンガティンガを一枚飾りたい」

という理由で選ぶかもしれません。

しかし、その作品を毎日見ているうちに作者が気になってくる。

同じ作家の別の作品を見る。

すると、

「次もこの人の作品が欲しい」

と思うことがあります。

ここから「コレクション」が始まります。

同じ作家の異なる時期の作品を集める。

同じモチーフの変化を追う。

大きな作品と小さな作品を比較する。

あるいは複数の作家が同じ動物を描いた作品を集め、その違いを楽しむ。

こうなると、ティンガティンガの楽しみ方は格段に広がります。

単に「アフリカらしい絵を部屋に飾る」という段階から、一人の作家の活動を追い、その変化を楽しむというアートコレクションへ変わっていきます。

現役作家だからこそできる楽しみ方がある

現在活動しているティンガティンガ・アーティストには、歴史上の作家とは違う楽しみ方もあります。

それは、これから生まれる作品を見ることができることです。

今年描いた作品。

来年描く作品。

5年後の作品。

その間に、アーティストの表現が変わる可能性があります。

新しいテーマを描き始めるかもしれません。

今まで使わなかった色を使うかもしれません。

これまでとはまったく違うシリーズを始めるかもしれません。

完成された美術史を見るのではなく、アーティストの歴史が作られていく途中を見ることができる。

これは現役作家の作品を楽しむ大きな魅力です。

作家の名前を残すことも大切

作品が国境を越えて流通するとき、作者の情報が失われてしまうことがあります。

「タンザニアの絵」

「アフリカの絵」

「ティンガティンガ」

という情報だけが残り、誰が描いた作品なのか分からなくなる。

これはアーティストにとっても、将来その作品を研究する人にとっても望ましいことではありません。

作品と作者名をきちんと結びつけて残すこと。

可能であれば制作年、作品名、取得経路なども記録すること。

それは単なる商品管理ではありません。

一人のアーティストの活動を記録していくことでもあります。

今日描かれた一枚が、数十年後にはその作家の初期作品として研究される可能性もあります。

そのとき、「誰が、いつ頃、どこで描いた作品なのか」という情報が残っていることには大きな意味があります。

アーティストの名前が知られる環境をつくる

ティンガティンガがこれからさらに国際的なアートとして認知されていくためには、「TINGATINGA」という名称だけが知られる状態から、個々のアーティストの名前が知られる状態へ進むことも重要だと考えています。

作品を見た人が、

「ティンガティンガを見ました」

だけではなく、

「マリキータの作品を見ました」

「SIWAの作品が好きです」

「AKILYの新作を見たい」

と言うようになる。

そうなれば、アーティスト自身の活動も蓄積されていきます。

展覧会歴。

作品画像。

制作年。

シリーズ。

インタビュー。

受賞歴。

コレクション。

こうした記録が作家名に紐づいて蓄積されることで、一人のアーティストとしての評価を後世へ残しやすくなります。

ティンガティンガ 原画  GAYO Duma Babies

「ティンガティンガだから価値がある」ではない

ここも重要です。

ティンガティンガというカテゴリーに属しているだけで、すべての作品に同じ芸術的価値や市場価値が生まれるわけではありません。

同じように、作者名が分かるだけで作品価値が保証されるわけでもありません。

評価にはさまざまな要素があります。

作品そのものの質。

作家の独自性。

継続した制作活動。

展覧会歴。

批評や研究。

作品の希少性。

保存状態。

来歴。

そして、どのようなコレクションに収蔵されてきたか。

こうした複数の要素が長い時間をかけて積み重なり、作家や作品の評価が形成されていきます。

だからこそ、「ティンガティンガだから買う」のではなく、**「この作家の、この作品だから選ぶ」**という見方が重要になります。

値段ではなく、まず作品を見る

アートを見るとき、価格や知名度から入る必要もありません。

有名だから好きになる必要はありません。

高いから優れた作品だと考える必要もありません。

まず作品を見る。

気になる。

作者を調べる。

別の作品を見る。

すると、その作家の世界が少しずつ見えてきます。

そのうえで、

「やはりこの人の作品が好きだ」

と思えたなら、それは非常に自然なアートとの出会い方です。

ティンガティンガについても、まず自分自身の目で複数のアーティストを見比べてほしいと思います。

「ティンガティンガを見る」から「アーティストに会いに行く」へ

理想的には、展覧会へ行く目的も変わっていくかもしれません。

最初は、

「ティンガティンガ展を見に行く」

だったものが、

「マリキータの新作を見に行く」

「SIWAの新しいシリーズを見たい」

「AKILYが今回何を描いたのか見たい」

へ変わっていく。

これは決して特別なことではありません。

私たちが美術館へ「モネを見に行く」「ゴッホを見に行く」と言うのと同じです。

ジャンルではなく、アーティストが目的になる。

そこまで認知が進んだとき、ティンガティンガは日本でも、より深くアートとして楽しまれるようになるはずです。

ティンガティンガは入口。その先にアーティストがいる

「ティンガティンガ」という名前は非常に重要です。

1960年代末にEdward Saidi Tingatingaから始まり、多くの画家たちによって半世紀以上にわたり受け継がれてきた歴史を示す名前だからです。

しかし、その名前はゴールではありません。

むしろ入口です。

その先には、多くのアーティストがいます。

それぞれ違う人生があります。

違う技術があります。

違うモチーフがあります。

違う色があります。

そして、違う世界があります。

最初は「ティンガティンガ」というカテゴリーから入ってもいい。

次にアーティストの名前を知る。

作品を見比べる。

好きな作家を見つける。

その作家の作品を追い続ける。

そうしていくうちに、

「ティンガティンガが好き」から「このアーティストが好き」へ。

見方が変わっていきます。

それこそが、私たちがティンガティンガ・アートを日本で紹介するうえで、これから広げていきたい楽しみ方です。

アフリカンアートという大きなくくりの中からティンガティンガを知り、ティンガティンガという歴史の中から一人のアーティストを知る。

そして最後には、カテゴリーでも国籍でもなく、目の前にある一枚の作品と、その作品を生み出した一人のアーティストを見る。

ティンガティンガを深く知っていくと、そのようなアート本来の楽しみ方へ自然とたどり着いていくのではないでしょうか。

TingatingaArtsCooperative Society ティンガティンガ工房 スナップ 内観

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